【出典:故事ことわざ】
管鮑(かんぽう)の交(まじ)わり 《故》

[出典] 〈史記(しき)・管仲伝(かんちゅうでん)
互いに理解しあった親密な交際。春秋時代、斉(せい)の桓公(かんこう)をたすけて名宰相といわれた管仲(かんちゅう)と、その親友の鮑叔(ほうしゅく)との交際。若いころ二人は貧乏な書生どうしであったが、一緒に商売して、管仲が利益を余計に取っても、鮑叔は管仲がより貧乏であることを理解していたので、少しも不平を言わなかった。また管仲が戦場に出て逃げてばかりいても、管仲に老母のいることを知っていた鮑叔は、その卑怯(ひきょう)をとがめなかった。それに対して管仲は「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子(ほうし)なり」と感嘆し、二人の友情は厚い信頼と理解に満ちていた。
[参考] 「杜甫(とほ)の「貧交行(ひんこうこう)」に「君(きみ)見ずや管鮑貧時の交わりを、此(こ)の道、今人、棄(す)てて土の如(ごと)し」とある。


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